2006年05月31日

『花街』

花街
加藤 政洋著

bk1 amazon

 花街から見る近代都市史の本。
 ということですが、まず、花街とは遊郭とは違うんだということを知らないところから読み始めているもんですから、花街とは、を理解することが先決でした(最後に載っている用語集をまず読みました)。

 芸妓のいないところに花街は成り立たない、とのことです。料理屋や旅館が集まっている地区があったとしても、そこに芸妓の営業が認められていないなら、花街とはいえないというわけです。標準的なモデルとしては、芸妓屋(置屋)・待合茶屋・料理屋の三業の分業制で、芸妓は待合茶屋にも料理屋にも入ります。待合茶屋に入った場合、客が芸妓屋から芸妓を呼び料理屋から料理を取り寄せる、といったかんじのようです。花街にも地方によっていろいろあるそうで、娼妓もいる花街もあったりして、必ずしも花街と遊郭が全く別ものということでもないようです。

 江戸文化のイメージのある花街ですが、著者によると、実は多くの花街は近代になってからのものだそうです。明治になって、娼妓・酌婦・芸妓の分離と売買春の取り締まりが出てきて、それぞれの囲い込みが行われ、維新のあとの都市再開発や復興などで発達したということのようです。具体的に、東京や神戸、大阪の中の街に着目して、花街としてどのように発達していったのか、などを見ていくという構成です。


 それでは、なぜそれらの花街が衰退してしまったのか。
 @時代に合わず、昭和初期のカフェーの登場で、芸妓よりカフェーの女給へ。
 A戦後、巨大化した赤線地区に飲み込まれ、売春防止法とともに消滅。
の二つの説を挙げています。

 全体的には、興味を引かれますが今一つ面白味の足りないというのが正直なところでした。読んでいて、分かりにくさというか見通しのあまりよくない、という印象です。それでも、花街の基本的なことを知っただけでもよしとしておきます。
posted by 行き先不詳 at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月30日

メゾン・ド・ヒミコ



 犬童一心監督の2005年の作品。あるいは、オダギリジョーの主演作が立て込んでいたうちの一つ。

 ゲイのための老人ホームを作り、そこにいる絶縁状態の父親に死期が迫っているのを知らされた娘が、アルバイトがてらに手伝いに行くが、ゲイの入所者や父親と衝突をしたりしながら人間関係を築いていく、といったかんじの話です。娘役が柴咲コウ、その父親が田中泯、父の恋人にオダギリジョー。

 父と娘の関係を中心と見るのが正統なんでしょうか。ただ、実際に衝突、反発、交流、和解したりするのは、その父親とよりゲイの入所者とのほうが多いです。オダギリジョーの役の存在も大きいですし。見ているときには、ゲイの老人たちの個性がなかなかなもんなので、そっちのほうが面白かったりしました。

 2時間10分くらいになりますが、少し長いなあ、とは何度か思いました。

 この老人ホームの運営資金の問題は簡単なもんじゃないよなあ、とは見ながら現実的に考えてしまいます。
posted by 行き先不詳 at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月28日

「サマータイムマシン・ブルース」



 「亀は意外と速く泳ぐ」とほぼ同時期のこの作品、私はこれを本広克行監督や内容よりも上野樹里の名前に引かれたところがあります。まあなんというか、面白そうなニオイを発しているということもあるし。

 この映画はヨーロッパ企画の舞台を映画化したものだということです。そこでなによりもまず「ヨーロッパ企画」を知らなかったことを恥ずかしながらご報告せねばなりません。ヨーロッパ企画は、ホームページによると、
 
98年、同志社大学においてユニット結成。翌年、独立。
現在、京都に拠点を置きつつ、東京・関西をはじめ全国にまたがって活動。
年3回ほどの本公演を中心に、各種イベント、映像、DVD製作、ホームページ企画、雑誌連載、テレビ・ラジオ番組、携帯コンテンツなど、手広く活動中。

 本公演では、代表・上田誠の作・演出による、ある一定のシチュエーションにおける群像劇を数多く上演。
とのこと、機会があればチェックしておきたいと思います。


 この作品はタイムマシンのパラドックスを基本にストーリーをこねくり回しているわけですが、随所に説明過多と思われるところと、頭がこんがらがってしまうところが同居しています。きっと見る人によって、そのへんの分かり方がずいぶん幅がありそうなところです。筋立てには関係ないですが、タイムマシンは同じ時刻、同じ場所に移動するとすると、地球の公転は影響しないのか、と私は素朴な疑問を見ながら抱えていました。

 それはともかく、とても楽しい作品です。冒頭の長いプロローグを見ているときは、これが伏線なんだろうとは思いつつも、「なんかこれ面白くないかも?」と期待値を下方修正していました。それがどうでしょう。後半にかけて、タイムマシンがらみの話と、出演者たちの生き生きとしたからみの盛り上がりに、大満足いたしました。青春映画的なところがあるのもいいかんじです。

 本広監督と、原作・脚本の上田誠によるコメンタリーも面白くて、くさいタオルの裏エピソードだとか、見落としてることもかなり聞けました。


posted by 行き先不詳 at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イサム・ノグチ展

 昨年、東京都現代美術館でも「イサム・ノグチ展」がありましたが、とうとう行けなかったので、それとの比較はできないのですが、とにかく横浜美術館に行ってまいりました。

 「顔」「神話・民族」「コミュニティーのために」「太陽」という4つのテーマに分けて彫刻作品を中心に展示されていました。抽象的な作品が多いわけですから、はっきりいってよく分からないところが少なくない。「この作品は本当にこのテーマに合致するのか?」とか、そもそも「このタイトルで合ってるの?」とさえ思うくらいです。作品の解説をされても、必ずしも腑に落ちない感じはきっと消えないのではないかと思うのです。ただ、その分からなさが嫌かといえば、そんなことはなく、それが造形の力なんでしょうけど、そのふだんの生活の中にはない不思議な形を飽きずに長々と見てしまうのでした。

 横浜美術館のホームページに観覧料金の割引クーポンがプリントアウトできるようになっているのを帰ってきてから知りました。
posted by 行き先不詳 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月25日

『ホームレス大図鑑』

ホームレス大図鑑
村田 らむ著

bk1 amazon

 タイトル通り、ホームレスのさまざまな実態を図鑑のごとく列挙解説した本です。一口にホームレスといっても、当然いろんな人がいるわけですが、あまり関わりにならないせいか、知らないことばかりです。著者は、数年にわたってホームレスを断続的に取材をしていて、以前にもホームレスに関する本を出したりしているようです。

 衣食住に仕事などホームレスの実体調査があって、私が意外だったのは、ホームレスの中には元暴力団の構成員だったというタイプがいて、ほかのホームレスを仕切っていたりするんだとか。また地域別にドヤ街や公園などのそれぞれの状況なんかが分かります。

 文章がシニカルなところがあって、最初ホームレスを小バカにしているように読めたのでちょっと不快でした(私はそういう不快さは、偽善的なんだろうなあとも思ったのですが)。ところが読み進んでいくうちに、小バカにしているというより、全体的に突き放した目線で書いているだけだな、と気付きました。

 ですから、ホームレスの擁護というわけでも、批判というわけでもないようなかんじです。たとえばホームレスがちょっと快適そうな暮らしぶりをしていると、付近住民から苦情が来るそうですが、そういう心の狭さを批判したりとか、行政のホームレス対策について、理解したり批判したりしています。つまり、あまり声高に主張したりはせずに、ふつうの感覚で捉えようとしているように感じました。

 『失踪日記』だとホームレス生活もそれほど悲惨に感じさせないのですが、やっぱりそんなことはなく、ふと人生について考えてしまうのでした。
posted by 行き先不詳 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『運動会で1番になる方法』


bk1 amazon

 「アフリカ系を除く100メートルの世界記録は日本人」という前書きのことばを見て、一瞬「そんなバカな」と思い、ふと“アフリカ系”ということばに、「へぇ、そうなんだ」と驚きつつもとりあえず納得しました。

 バイオメカニクスとは、人間の身体の動きを力学的に分析する学問だそうで、それをスポーツに応用したのが、スポーツ・バイオメカニクス。この本は、そのスポーツ・バイオメカニクスの観点から、足の速くない小学生でも運動会で1番になれちゃうようなトレーニング法が書かれたものです。

 1991年の世界陸上の東京大会から、スポーツ・バイオメカニクスの本格的な共同研究が行われるようになり、その結果、体幹と股関節が速く走れるための中心的な役割を担っていることが分かったそうです。

 ナンバ走りが有名になりましたが、ただナンバ走りをマネしてもダメで、古武術なんかの姿勢や動作のエッセンスを取り入れることに意味があるとのことです。

 正しいフォームや技術を練習するのは、トレーニングではなくドリルと呼ぶんだそうですが、何種類かの股関節強化ドリルが載っています。たしかに、ふだんとりたてて鍛えたりしなそうな筋肉が強化されそうです。
posted by 行き先不詳 at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月22日

内田樹『知に働けば蔵が建つ』


bk1 amazon

 内田樹のブログ「内田樹の研究室」の中から、いくつかのテーマで編集したもの。そのブログは、ときどき思い出したように読むもんですから、読んだことがある文章も一部ありましたが、大方ははじめてでした。

 政治・外交・経済・文化・社会問題などなど、予想もしないような切り口で、そしてその論理的な鮮やかさの名調子。なんか講義を受けているような気になります。

 今回は、反日デモ・靖国・個人情報保護や危機管理の過剰さ、とかいろいろです。外国語教育の基本はまず読むことであるという持論(←自分たちの生き方に決定的に重要な影響を与えるような外国語話者を「目の前」にする機会が一生に何回あるだろう?、だとのことです)、とか嫌いな人との付き合い方なんかも面白いのですが、最初に出てくるニートや格差社会のところを簡単にまとめてみます。

 ニートについて
 ニートであることは経済的に見て合理的である。働く意味を突き詰めたときに、生活のためであるなら、そういう意味では達成されているから。となれば、功利主義的に説得することは無理である。「金さえあれば」という発想が社会的に常識になっているから。賃金以上に働いてしまうことこそが人間なんだという話です。

 リスク社会について
 リスクを自分で負わなければならない社会では、強者同士が結びついてしまう。しかも、弱者はその格差を後押しするような役割を自ら果たしてしまう。なぜなら、大衆社会が実現しているから。そこでいう大衆とはオルテガのいうところの大衆で、まわりと同質でありたいと思っていて、自己肯定的である。そのままの自分でOKだから、努力もしなければ他者との関わりをもたない。だから、対症療法的な解決方法はないということのようです。
posted by 行き先不詳 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「吾輩は主婦である」第1回を見逃す。

 うっかりしてました。

 宮藤官九郎脚本の昼帯ドラマ「吾輩は主婦である」が本日スタート。見ようと思っていたのに、番組のことをすっかり忘れ、録画の予約をしていなかったことを思い出したのが12時50分。そのときにはあきらめるしかなかったのです。

 夏目漱石が乗り移った主婦(斉藤由貴、その夫が及川光博)が、家庭やご近所のトラブルを解決する話、だなんてすごくバカバカしそうで、面白そうじゃないですか。

 とにかく、2回目から見ることにいたします。
 あぁ、再放送はないんでしょうねぇ。
posted by 行き先不詳 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月21日

藤田嗣治展

 東京国立近代美術館に到着して見えたのは長い行列です。50分待ちという表示。ここまで人気があるとは……。それにしても、はじめから行くつもりだったのに、よりによって最終日の日曜日になってしまうとは、自分の計画性のなさが恨めしい。そういうわけですから、チケットの購入と合わせて1時間ほどかけて入っても、中は人があふれていて、やはり見るにもなかなか難儀しました。

 私も無知なもんで、藤田嗣治について、フランスで活躍した日本画家くらいしか知らなかったのですが、戦争画を描いたことを批判され、戦後フランスで帰化して日本には戻ることはなかったんですね。今回の展覧会は画期的なものみたいで、これまでは日本での評価に、遺族としても協力を拒んだということだとか。それだけに今回の展覧会をエポックとして、作品本位でこれまでより評価されることになるのでしょう。

 見ていて、エコール・ド・パリ時代、中南米を旅していたとき、戦争画、宗教画それぞれが、ずいぶん違うことに驚きます。必ず言及される「乳白色の肌」ですけども、その肌の質感とか輪郭線にどうしても目がいきました。1918年ごろの作品に出てくる女性の顔なんて生気がなさそうな(目などにモディリアーニを連想させるところもありますが)忘れられない表情をしてます。後年の卵っぽいと私には感じられる顔立ちとか、自画像とかもそうですが、顔の印象が強く残ります。猫の絵にしても、金箔を使った宗教画にしても、異様な迫力の戦争画にしても、どれも見ごたえ十分で、もっとゆったり見ていたかったところです。
posted by 行き先不詳 at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大人計画「まとまったお金の唄」

 設定上のことで余計なことを書くとすぐにネタばらしになってしまうのでなかなか難しいところです。というのも、不幸な家族の裏側にある悲惨な真相がストーリーの流れの中で重要だからです。もちろん、ミステリー的な話ではないですけど。

 70年代の話で(かなり70年代ネタが登場します)、万博と左翼活動が大きな位置を占めていますが、これらは科学技術と思想それぞれの未来への希望を表しているといえます。ところが、ここに登場する家族は借金を抱え、家族それぞれが不幸になっていくという、話としては救いようのないところなのです。これは、希望のまだあった時代のすでにして希望のない現実を描いた物語なのでしょうか。

 といいつつも、見ていて陰惨な印象をそれほど受けないのは、もちろん笑いで包んでいるということもありますが、やはりそこに希望が見えるからではないかと思います。そして、結局は未来になろうと変わらないという現実が待ってはいます。しかし、その現実が絶望しかないかというと、私にはそうとも見えません。大人計画にしてはずいぶん口当たりがいいように感じる所以でもあります。

 母親役が荒川良々で、その娘に阿部サダヲと市川実和子、というだけでもう面白そうですよね。相変わらず阿部サダヲはテンション高かったし、うんこを持ってたりする宮藤官九郎の役も「バカだなぁ」とニヤニヤしちゃいます。

 ほかのキャストに、平岩紙・宮藤官九郎・伊勢志摩・菅原永ニ・村杉蝉之介・近藤公演・内田滋・松尾スズキ。本多劇場では5月28日まで。
posted by 行き先不詳 at 01:36| Comment(0) | TrackBack(2) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月20日

『投資リスクとのつきあい方 上・下』

 2002年の著作ですが、『金融広告を読め』で気になっていたので、以前の著作も読んでみようと手に取りました。

 上・下となっていますが、本文中にも書かれているように、無関係ではないもののかなり独立した作りで、姉妹篇といえる2冊です。

 個人の株式投資は日本経済にとって必要だが、個人のリスク管理能力は貧弱だというのが眼目となってます。株式市場がプロを相手にするときはシビアでアマチュアを相手にするときには手加減してくれる、ならいいけど当然そんなことはないのだから、リスク管理を個人投資家もちゃんとしないといかん、といったところです。

 基本的にはリスク管理といっても、いかに損切り(ロスカット)ができるか、というところにポイントがおかれ、そのために株価の変動幅を標準偏差などを使って捉える、というわけです。これを実行する自信は私にはありませんが、リスクについての理解は得られるのではないでしょうか。

 下巻では、オプション取引についての解説が書かれています。オプション取引はリスクが限られてて、なおかつギャンブル的な要素を勉強するにはいい教材だとのことです。たとえば、今の株価で2ヶ月後に買う権利と売る権利それぞれを買うとすると、大きく値を上げたり下げたりすれば儲かり、値動きがあまりなければオプション価格分を損する、ということです。オプション価格はリスクを押し付ける分、それに見合う額になっているということですから、かならず儲かるなどということはなく、基本的には損をするようになっているようです。

 これを読むと株をすでに持っている人が、保険として利用する方法に興味が出てきますが、この本の方向性はそういうかんじでもないのです。著者自身の実戦篇が出てきますが、あくまでゲーム的な側面が強調されている印象を受けます。株式投資をしてない人が最初にオプション取引で経験することすら薦めているのはちょっとすごいです。

 上・下を通して、株は確実に儲かる方法などはない以上、どのみちギャンブルでしかないのだから、リスク管理をいかにするかが問題だといっています。
posted by 行き先不詳 at 15:23| 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月19日

白夜の女騎士(ワルキューレ)

 「夢の遊眠社」の公演も見ておらず、「ニーベルングの指環」の内容も知らず、ほとんど予備知識もないまま見ました。どうやら難しいらしいということと、蜷川幸雄の演出として過激派という要素が前面に出ているらしい、そして、分かりやすくなってはいるらしい、ということだけは耳にしていました。

 正直、内容について、ストーリーといい解釈といい、今のところ、人に説明できるほどには理解している自信がありません。ただ、訳わかんない、というようなことはなかったです。頭の中がまだ混沌としているような感じです。


 今回、前売りでのチケット取得に失敗したので、当日券を買うことにしました。開演の1時間半前から抽選で当日券の購入順を決めるという二段構え。結局、立ち見で見ることになりました。平日だったからでしょうか、とんでもない倍率ではなかったようです。

 ちょっとびっくりしたのは、開演前に客席や通路に役者の姿や蜷川幸雄の姿があったことで、歓談でもしてるような雰囲気で、あっちこっちをウロチョロしてたりしてました。

 主なキャストは松本潤・鈴木杏・勝村政信・六平直政・立石凉子・杉本哲太・高橋洋・山口紗弥加・持田真樹・濱田マリ・たかお鷹・六角慎司・さとうこうじ。
 キャストの中で一番印象に残ったのは勝村政信でした。
posted by 行き先不詳 at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月15日

NHK「マチベン」に感動必至

 全6回のドラマでしたので、一足先に最終回を迎えましたが、録画しておいた最終回を見て感動してしまって、まだ残していたほかの回を、途中早送りしながらも全部見てしまいました。見ていない人は、機会があればぜひ見ることをオススメします。

 マチベンとは町の弁護士であると同時に、ろくな仕事もなく依頼を待っているという意味でもあるというセリフがあります。そういう紹介者不要・着手金無料の弱小弁護士事務所の弁護士(江角マキコ)が主人公。

 第1回のプロローグで、その弁護士である彼女が殺人未遂事件の被告人になっています。また、彼女は通り魔殺人事件で無期懲役になっている受刑者(竜雷太)の担当検事であったにもかかわらず、冤罪ではないかと疑って検事をやめ、弁護士として再審の道を探ってもいます。しかし、当の本人は自首から首尾一貫として自分の罪を認めていて、その彼に書く手紙や接見をしようとする様子のシーンが毎回小出しに登場します。そうした中で、第4回までは一話完結で依頼を解決していきます。

 私は、その昔の事件の話を見くびっていたところがあったようで、最終回でこれほど感動するとは思っておらず、自分の期待を大きく上回りました。ほかの回を改めて見てみると、かなり伏線が張ってあるのと(ただ、ぼーっとして見逃したということでもありますが)、扱われるほかの事件がなんらかの面でその昔の事件につながるテーマをもっているということも気が付きました。

 江角マキコの役は、捨て身というかリスクのある弁護をいつもしていて、とくに最後の最後にはかなりリスキーなことをしています。もっと安易な展開がいくらでも予想できるところです。それだけに、魂のぶつかり合うシーンには説得力がありました。

 ほかの主なキャストに、山本耕史・沢田研ニ・中島知子・小林隆・沢村一樹・山本圭。脚本は井上由美子。
posted by 行き先不詳 at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月13日

保坂和志『この人の閾』

この人の閾
保坂 和志著

bk1 amazon

 保坂和志の小説をすべてではないにしても、だいたい読んではいるのですが、『この人の閾』はまだ読んだことがなく、とくに期することもないのですが、今回手に取ってみました。

 表題作は芥川賞を受賞していますが、保坂和志が好きな私には逆に、このタイトルといいこの内容といい、保坂和志を読んだことがない人には、取っ付きが悪いんじゃないかと思いました。とくにあらすじを取り出しても面白そうに聞こえないでしょうし。「この人の閾」って、このタイトルを聞いて面白そうって思うでしょうか。

 たとえば、この中の「東京画」で、路地裏でじいさんが夕涼みをしている光景を見て、執拗に考えをめぐらせたりするところとか、「夏の終わりの林の中」で食物連鎖の話なんかを登場人物がずっと会話してたりするところとか、こういう題材でふつうだったら面白くなんてならないんじゃないかな、とおかしみさえ感じます。そう、確かに面白いんですけど、読んでいてどうしてこれを面白いと感じるのかはよく分かりません。

 そして、こういうところから哲学的になったりするのがとくに好きなところです。哲学的というのもちょっと違うのかもしれませんが、逆に言えば、哲学に私が求めるものが保坂和志の小説やエッセイの中にあるということです。哲学といっても難解なことでもなく、ふだん意識に上らなかったり、追求して考えなかったりするようなことを、捕まえてみせてくれる、という感じでしょうか。ですから、「あぁ、そういうことか」とか「そうそう、そうなんだよなぁ」とか「うんうん、わかるわかる」みたいな反応が引き起こされます。
posted by 行き先不詳 at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする