2006年11月28日

月刊PLAYBOYのミステリー大特集

 2006年1月号の月刊PLAYBOYは特集がミステリーということで、手を延ばしてみました。こういう特集の雑誌を見つけたら以前はよく買ってたんですが、最近では久し振りな気がします。さすが、PLAYBOYだけあって、プレイメイトのヘアヌードがあったりしますが、あくまで目当てはミステリーです。


 北上次郎・大森望・豊崎由美の3人が座談会形式で「この10年で最も面白いミステリー・ベスト100」ということで国内・海外それぞれ50位までのランキングを決めています。
 ちなみに、ベスト5までを挙げると、
国内
1位 古川日出男『アラビアの夜の種族』
2位 宮部みゆき『ぼんくら』
3位 桐野夏生『OUT』
4位 乙一『ZOO』
5位 福井晴敏『亡国のイージス』

海外
1位 セオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』
2位 リチャード・ノース・パタースン『子供の眼』
3位 オースン・スコット・カード『消えた少年たち』
4位 デニス・ルヘイン『ミスティック・リバー』
5位 トマス・H.・クック『死の記憶』

ってな感じ。


 『アラビアの夜の種族』は、爆笑問題太田光の選ぶミステリー10冊でも1位に挙げられてます。その後、黒川博行『国境』、高村薫『マークスの山』…と続いてます。

 それから『このミス』の年間ベスト20の予想を大森望・千街晶之・杉江松恋がしています。1位だけ挙げると、国内は『邪魅の雫』、海外は『数学的にありえない』。


 ほかにも、中江有里のおすすめの最近のミステリー、馳星周のノワール・ベスト10、古川日出男や宮部みゆき、京極夏彦、香納諒一へのインタビューなどなど、さらにそのほかにもいろいろあって、さすが「ミステリー徹夜本をさがせ!」な内容となっております。
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「力道山」



 力道山といっても、テレビ草創期の国民的ヒーローだった、ということくらいしか知らない私ですから、いろいろと勉強になりました。といっても、どの程度事実に即しているのかも分からないのが痛いところですが。


 物語は戦時中の相撲部屋からスタートします。若き力道山(ソル・ギョング)は、朝鮮人として先輩力士から差別的なしごきを受けていました。それを乗り越えて、関脇にまでなった力道山は確実視されていた大関昇進が、日本人でないがために見送られたと大きく失望します。一体これまでの努力は無駄だったのかと。そのとき、プロレスのことを知り、それこそ自分の可能性を賭けられるものだと、アメリカへ渡ります。

 帰国後、相撲部屋の後援会の会長でもあった菅野(藤竜也)とともにプロレス協会を創立、日本人にプロレスを紹介します。敗戦後元気をなくした日本人は、アメリカから来た大男と戦う姿を見て夢中になるのです。

 そうして人気の出たプロレスですが、いろいろと歯車の狂いが生じ、力道山を苦しめるのでした。


 相撲部屋からの後ろ盾となった菅野会長は背中に彫り物があるような人物ですし、芸妓だった女性(中谷美紀)との結婚を取り持った人でもあります。彼との関係は後年ずいぶんと変わっていきます。とくに勝負に際しては我を失ってしま力道山は、いろいろと問題を引き起こし、何度も擁護してくれたんですけども、妥協不能なところまでに至るのです。
 その力道山の生命力の塊のようなパワフルさと、表と裏の世界で大物の菅野会長の存在感がこの映画の見所です。


 
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2006年11月27日

『知的ストレッチ入門』



 あとがきに出てくるように、梅棹忠夫『知的生産の技術』、渡部昇一『知的生活の方法』、板坂元『考える技術・書く技術』、立花隆『「知」のソフトウェア』、山根一眞『スーパー書斎の仕事術』、野口悠紀雄の『「超」〜法』などに連なる本であって、それらは時代が変わればどうしても古びてしまうことは避けられず、今の時代にふさわしいものが必要だということで、この本の登場です。

 どのくらいの読者を想定しているのか分かりませんが、なかなか私レベルでは参考になるのか、ならないのか難しいところもあります。少なくとも、速く読む技術については、それで速く読めるようになるとも、あまり思えなかったですし。そうはいっても、細かいところにこだわりをもってる著者ですので、いろんなところにヒントはありそうです。

 ちょっと驚いたのは、著者にとって週刊誌や新聞は気休めで読む程度のものでしかないということ。たとえば、新聞について
 
 私が宅配新聞をとらなくなって2年以上が経ちました。さまざまな媒体でニュースの解説をしていますが、困った事態になったことは、ただの一度もありません。ネット上や、駅や店舗で販売されている新聞を買って目を通すことはもちろん日常的に行っています。
 ただ、新聞はあまりに内容が古すぎて、適宜コメントしたり、実際の分析や予測をしたりする際には使えません。古すぎてくれるおかげで、我々の商売が成り立っているという側面はあるので感謝はしています。

 という具合。


 へぇ、と思ったのは、ある分野について簡単に詳しくなるためには、シンポジウムや講演会に行く手もあると書かれていること。オーソドックスな方法として挙げている、その分野の新書を5冊ほどざっと読む、などより簡単そうに感じられたもんで。

 それとか、自分しかもっていない技術やオリジナルな工夫があったとして、それをマニュアル化して誰もができる仕事に変えるということこそが付加価値の高い仕事だという指摘です。
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2006年11月26日

本城直季がトップランナーのゲスト

 NHK教育のトップランナーのゲストが本城直季でした。
 本城直季「small planet展」に書いたようにギャラリーへ見に行き、その後も写真集を購入、広告などでも見かけることが多く、またそれらが一目で本城直季と分かるのも特徴的で、気にはとめておりました。

 動いているを見るのは初めてでしたが、思いのほか物腰が柔らかい(かなり緊張していたとしても)ずいぶん穏やかな人に見えました。

 カメラについて無知なんですが、レンズ面とフィルム面が平行でなくても撮れるカメラで、写真の中の一部だけにピントを合わせて、それ以外をぼやかせることで、ミニチュアっぽく見えてしまうんだという本人の解説でした。ほかに、光とか高さにも注意を要するようです。

 まるで、作り込んだ作品のような錯覚を覚えますが、もちろんそんなことはなく、瞬間を切り取ったものなんですよね。

 サバンナでキリンやゾウを撮りたいとのことですが、ぜひとも実現してほしいところです。

 
posted by 行き先不詳 at 23:50| Comment(1) | TrackBack(0) | TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ベルギー王立美術館展」

 12月10日までなので、今日のうちにと行ってみました。ダリ回顧展のほうを横目に見ると、予想通り、行列ができていましたので、そちらは平日に来れればと思った次第。国立西洋美術館のほうは空いていて快適でした。

 ベルギーの美術ということですが、ブリューゲルとかルーベンス、ヴァン・ダイクから最後にはマグリットが控えていまして、ベルギーというくくりでのイメージがなかったので、そこがちょっと面白いところでもありました。それから、展示される作家で、知らない人が多かったです(これは私が知らないだけですが)。たとえば、エミール・クラウスは気に入りまして、「陽光の降り注ぐ小道」は牛が歩いてる絵ですけど、私好みの絵でした。
posted by 行き先不詳 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「東京ゾンビ」



 パッケージの写真で、私、偏見を抱いてました。見た目のインパクトに、かえって内容が期待できないのでは、と。しかし、全くそんなことはなく、見た目どおりバカバカしいですが、とても面白いのでした。

 なぜか柔術の練習をしているふたりの男、アフロヘアのフジオ(浅野忠信)と横山ノック風ヘアスタイル(別に横山ノックに限りませんけど)のミツオ(哀川翔)。ふたりは師弟関係でもあり(ミツオが師のほうです)、親友のようでもあり、兄弟のような絆を感じさせます。

 そこに来た本社の社員をフジオが殺してしまい、それを黒富士と呼ばれる、ごみの山へ埋めに行くことになります。といっても、犯罪を隠蔽しようということより、処理に困ったからという感じで、実際他にも人が捨てられに来てたり、埋められたりしています。そして、その黒富士からゾンビとして埋められた人たちが這い出してきたのです。

 このゾンビにかまれるとその人もゾンビになってしまい、東京はゾンビでいっぱいになります。フジオとミツオは柔術の修行のために、ロシアへ行こうと出発するのです。

 このあたりまでが前半で、後半では、それから5年後、フジオがゾンビを相手に柔術で闘っています。東京はゾンビから逃れた金持ちとそうでない貧しい人たちに分かれていて、金持ちたちがゾンビと貧乏人を闘わせていたのです。そこで、フジオは久し振りにミツオと再会するのですが…。


 見た目から言っても哀川翔のほうがインパクトがありますが、私としては浅野忠信のキャラが素朴で子どもっぽく、ちょっと凶暴で、より面白いと見えました。
 随所に笑えるところがあるんですけども、印象深いのはミツオが車から飛び降りるシーンで、そのとき使われる効果音を耳にして、この音使うのかよって思わずツッコミました。
posted by 行き先不詳 at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」



 これは困った作品です。どう評価すべきかよくわかりません。
 “音”が重要なんでしょうが、私は音が大きくて音量を絞り、そのままだとセリフが聞き取れないので、また音量を大きくするということを繰り返しながら見ておりましたので。

 レミング病(レミングってあの崖から飛び降りて集団自殺しちゃうとかいうねずみですね、たしか)という自殺してしまいたくなる感染症の流行で、日本だけでも300万人が死んでいるという状況で、ただし、あるミュージシャン(浅野忠信、中原昌也)の演奏を聞いた人たちはどうやら生き残っているらしい。そこで、ある感染した少女(宮崎あおい)の祖父(筒井康隆)が孫のために演奏をしてほしいとお願いにやって来て…、とあらすじだけを取り出せば、こんなところでしょうか。

 自殺してしまいたくなるという病気について、それほど説明的ではありません。感染した人が衝動的に自殺したくなるわけでもないようで、しかも死にたくはないという思いもあったりします。本筋から外れますが、自殺をしたのが数百万人ということが、社会的にどんな影響を及ぼしているのか、ちょっと興味がありました。この作品では、そのあたりは深追いしてないです。


 冒頭から音を収集しているミュージシャンのふたり。いろんな音をサンプリングするために集音マイクをもって探しています。といっても、病気を治すために積極的に演奏しようとかいうわけではないんですよね。それと彼らが演奏するのがノイズミュージックで、一応有名ではあるものの、誰からも支持されるようなタイプの人たちでもないんですね。ここに何を見ればいいのかも私にはよく分かりませんが。

 病気での自殺とそうでない自殺との違いとは?
 どうせいつかは死ぬんだから積極的に治す必要があるのか?
といった問いも本筋ではないんでしょうが、そっちのほうが興味をそそられる私です。
posted by 行き先不詳 at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月25日

黒田研ニ『カンニング少女』

カンニング少女
黒田 研二著


 高校3年生の玲美は、自分の姉の事故死に疑いをもっていて、それを解消するには姉の在学していた大学に入らなければならず、ただしふつうに受験したのでは到底合格の見込みはないので、同級生らの助けを借りてカンニングをして受験に挑もうとする、といった話。

 ということで、この物語では、カンニングをいかにするか、ということと、姉の事故死の真相についてのふたつがポイントなわけです。カンニングについては、かなりハイテクな方法を使っていて、そんな仕掛けを作れる機械に強い人だとか学力がずば抜けた人など、手助けしてくれる同級生らがそれぞれの能力を活かすという具合。一応青春小説になっています。

 ただし、そもそも本当にカンニングをしなくてはいけないのか、という疑問は登場人物らも最初は抱いていまして、読者もそれには引っかかるところだと思います。姉の死に関してカギを握っていると思われる大学の助手がいて、その人に接近するには学内に入って、時間を掛けて近づかなければいけないといった理由が述べられています。ただ、これで納得するか、割り切れずに読み進むのかは、人によって分かれるところでしょう。といっても、細かいことをゴチャゴチャ言うべき小説ではないでしょうね。カンニングの方法から言っても。

 この助手が冷徹なかんじで、なかなかいいキャラです。大学の試験中に携帯電話でメールを打っていた学生に対して、不正行為と見なすので退出せよと宣告するシーンでは
 
「《実践教育論》を落とすと、あたし、卒業できないんです!」
 「そんな大切な試験で、どうして呑気にメールなど打っていたんですか?」
 「だから、それは友達のことが心配で……」
 「留年よりも友情を選択したわけですね。その決断を否定するつもりはありません。とにかく、今期、あなたには《実践教育論》を受講する資格はありませんので。さあ、ほかの学生の迷惑になりますから、今すぐ退出してください」
という取り付く島のなさ。で、この人が本番の受験時には、結果的に立ちはだかるということと、そこで肝心の謎が明らかになるということで、終わりはきれいに着地した印象です。
posted by 行き先不詳 at 19:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月23日

「クレールの刺繍」



 残念ながら、私にはあまりよさが分かりませんでした。すみません。見ながら、なんて地味なんだ、地味過ぎる、って心の中で呟いていました。

 クレールは妊娠しているものの、周りには気付かれたくなくて、親にも、勤め先にも隠しています。匿名出産という制度があるようで、産まれてすぐに養子に出してしまうこの制度を利用することに決めています。当然今の仕事場にはいられないので、うそを言って休みます。
 クレールは、ある刺繍職人のところで仕事をしたいと申し込む。そこで、刺繍の腕前をテストされ、合格したクレールは、働くことを許されます。その刺繍職人は、息子を事故で亡くしたばかり。このふたりが、刺繍に打ち込むゆっくりとした時間を過ごすことによって、少しずつ変わっていく、そんな話です。

 最後まで見れば、確かにヒューマン・ドラマではあります。
posted by 行き先不詳 at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日垣隆『どっからでもかかって来い!売文生活日記』



 怖い。怖過ぎる。この容赦のなさは、どちらかというと読む者をしてビビらせるのではないでしょうか。

 日記の形式で、日々の仕事がらみの雑事で出くわす怠慢や無責任に憤慨するようなパターンが多いです。それが憤慨では終わらずに、直させるために闘っています。私などは、その怒りに共感するより、自分が言われる側にまわったところを想像してしまいました。ビビる所以です。やり取りの再現で見られる言葉づかいの乱暴さにいたっては、デフォルメされていると信じたい。


 そんな中で、敷金については私にも覚えがあるところです(私の場合はそれほど高額ではないですが)。引っ越しが済んで、不動産会社の担当者が見て言うには、こんなにきれいに使っていただくのはすごい的な感心のセリフで、実際きれいに使ったんですけども、後日、敷金とほぼ同額のクリーニング代などの料金を示されました。見積もりの額そのままで精算されることにも引っかかりましたが、「それじゃあ、ふつうの人なら足が出ちゃうのではないか?」ということだけ質問しました。相手の反応が薄いので、「これってどうしようもないんでしょうね?」と、それ以上事を荒立てることなく、そこを後にしたということがありました。

 そこが闘う人は違います。
 不動産会社に対して抗議して、敷金の返還を求めた後に送ったファックスの一部がこちら。
 
 本日申し上げたように、貴社とクリーニング業者による「本来全額を返すべき敷金を食いものにする商法」には、もはや黙っていることができません。裁判にもちこむことにしました。同業の業者も少なからずいるようなので、これが多少なりともきっかけとなって、このような商売が淘汰されることを祈っています。
 敷金というのは、借り手の過失や意図によって損壊されたものの修復費が判例の示すところであり、ましてこのたびのような「受注するクリーニング業者本人にチェックさせる」たぐいの暴挙は、許すことはできません。
 [後略]
 
 翌日、敷金の全額が返却されたとのことです。

 やっぱりマネできない…。


 ただ読むうちに、自分の仕事の姿勢を顧みて、果たしてどうだろうと自問するのでした。


 なお、この日記は、現在も雑誌「WiLL」に連載中です。
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2006年11月21日

「『資本論』も読む」

『資本論』も読む
宮沢 章夫著


 なんともヘンな本ですね。
 『牛への道』とか『わからなくなってきました』などのエッセーみたいな面白さへの期待も少しは残しつつ、『資本論』を読むという試みがいかなる内容となって結実しているのかと興味をもちました。そうしたら、予想よりふつうに読んでいて、その上でやっぱり面白かった。

 『資本論』については、今のところ読みたいとは思っていないのですが、やっぱり簡単には読めないんだということは分かりました。かなり、引用もされているんですが、それを読んでいると、ますます読みたいとは思えない。しかも、この本でも1巻までしか読み終わってないし。

 繰り返し書かれてますが、これは解説本ではないということです。「『資本論』を読む」という、ある意味でドキュメンタリーなんだと。
 
理解しなければ読んだことにはならないのは当然だとしても、理解したらいいわけでもないのは、だったら「解説書」のたぐいを読めばいいからで、繰り返すようだが、言葉を味わうのである。そこにこそ、いま『資本論』を読む醍醐味があるにちがいない。

 そうはいっても、理解したところを伝えたくなるようで、そこはちょっと解説本っぽくなりますが、迂回しながら、宮沢章夫ならではの視点も交えて、少しずつ『資本論』を読み進めていきます。

 そもそも、なぜ今『資本論』かという問題もあって、それは元々読むことを挫折し、気になりながらも読まないままだったことがあるようです。ただ、私は、長大で難解にして「なぜ今なの?」という本だからこそ、読むことに意味があるんだと思いましたが。そして、内容をただ理解することをこえて、読むことの快楽を見つけるに至っては、これはもうただごとじゃないです。読書とは何かといった根源的な問いをそこに見ることができるようではないですか。ですから、完全に読み終わっている必要もないのです。

 しかし、これを読み終わっても、やっぱり『資本論』を読みたいとは思わないままですけどね。
posted by 行き先不詳 at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月20日

「ある子供」




 ダルデンヌ兄弟の名前は聞きつつも作品を見るのはこれがはじめてです。
 2005年のカンヌ映画祭でパルムドールを取った作品だとか。


 出産後、ソニアが赤ん坊を抱きながら自宅へ戻ると、恋人のブリュノが人に部屋を勝手に貸していて、中に入ることができないという滑り出し。ブリュノは盗品を売ったりして、まともな仕事はしていない。最初からかなりダメな男だなあ、と思わせ、にも関わらずソニアのほうもそれを許しているところが見られます。

 私にはヒッチハイクしたらしいバイクの後ろに赤ん坊を抱きながらヘルメットもせずに乗っているシーンや、平気で赤ん坊の前でタバコをふかしている姿に、ふたりともどういう奴らだと素朴に感じました。

 さらに、ブリュノは金欲しさに、あろうことか、というか予想通りなんですが、その赤ん坊を売ってしまうのです。おいおい、これからどうするんだよっ、と思っていると、驚いたことにソニアにふつうに告げるのです。きっと、多少はショックを受けたとしても、また今までのような生活を続けられると思いながら。そして、もちろん、そんなことになるわけもなく…。


 ブリュノは犯罪で金を得ているものの、悪いという印象をあまり持たないんですね。暴力に訴えるというような凶暴さがほとんど見受けられないですし。悪いというよりは人間的な弱さが、ああいう行動に走らせていると思わされます。

 
 終盤に至るまで、まさか感動するような結末を迎えるとは予想しておらず、そこは意外でした。
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大沢蝉之介inNHK

 NHKってこんなこともするんだ、と脱力しました。 

 「大人計画フェスティバル」に書いたように、大人計画フェスティバルには入ることができなかったもんで、土曜深夜に放送された「18年目の学園祭〜大人計画フェスティバル〜」をどんなもんかと見てみたわけです。

 そうしたら、平岩紙の語りの部分と、大沢たかおの独白の部分があって、そこでは大沢たかおが13年前に大人計画に1年半ほど在籍していたという話を披露していました。阿部サダヲや猫背椿らと同期だったけど、そこに居場所を見出すことができなかっとか、大沢蝉之介という名前をもらったのが嫌だった、しかも村杉蝉之介の入団によっていよいよ劇団にいる気がなくなった、といったような話を劇団のメンバーの証言も交えて紹介していました。

 と、それが番組のラストもラストで、フィクションだと。
 数秒間、思考が固まりました。

 これはこれで面白かったですけど。
posted by 行き先不詳 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月19日

『四度目の氷河期』



 これはタイトルがいいですね。
 私には、名前負けしてるとさえ見えるほどです。このタイトルに、読む前や読んでる途中に、妙にイマジネーションがふくらみそうになりながらも、実際の中身はそういうものとは違ったのですが、それでも、一口に青春小説というには惜しいスケール感のある物語になっていると思います。


 ワタルは母親とふたりで田舎の町に暮らしています。母は遺伝子研究所の研究者としてこの地に移ってきた「よそ者」で、あまり町の人たちからよく思われていない研究所への不信感と、シングルマザーということに対する冷たい目があるのでした。

 そしてワタルは、自分が周りの子たちと明らかに違うということを小さい頃から自覚していました。父親がいないこととか外見のこととか。読んでいれば、父親は外国人なんだろうということは想像できるのですが、本人は強い疎外感から、いくつかの根拠を元に自らをクロマニヨン人の子だという仮説を導き出していました。そのため、野山を駆け巡り、石器を作ったりしながら、次に来る氷河期にも備えるという幼少期を送ります。

 そんな時期に父親から虐待を受けている少女サチと出会い孤独から脱し、身体能力の高さから陸上競技で存在を示すようになりながら、心身ともに成長をしていく17歳までのストーリーです。


 自分がクロマニヨン人の子だと、本気で思い続けられるわけもなく、それが幼少期の思い込みだと分かっても、心の芯の部分で自分を作っている要素であるところがあって、ふだんから原始の時代に思いを馳せるのです。最初は、バカバカしいと感じるかと憂慮したら、全くそんなことはなく、そこにこそこの小説のスゴさがあるのかなと思います。
posted by 行き先不詳 at 23:53| Comment(0) | TrackBack(3) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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